お酒の中でも歴史の長いのが日本酒。
日本酒の歴史は米作りが始まった弥生時代からと言われており、今でも国内外で人気を博しています。
そんな日本酒が有名な場所、それが三大酒処と言われており、京都の伏見・兵庫の灘・広島の西条になります。広島の西条ではなく福岡の久留米を含める場合がありますが、今回は広島の西条のご説明を致します。
京都の伏見・兵庫の灘・広島の西条が、なぜ三大酒処がそう呼ばれるようになったのか?この歴史や環境について説明します。
京都府の酒処「伏見(ふしみ)」
まずは京都府の伏見について紹介します。
京都の伏見はどんな場所?
伏見(ふしみ)は、京都府に位置する地域です。京都市の南東部に位置し、かつては京都の東方に位置する城下町でした。京都市の中心部から南東へ数キロメートルほど離れた場所にあります。
伏見は、歴史的には木綿や呉服などの産地として知られ、商業の中心地として栄えました。また、酒造りも盛んであり、日本酒の醸造が行われてきた地域としても知られています。
現在の伏見は、酒蔵や酒蔵関連の施設が多く残り、日本酒の文化や歴史を感じることができる場所として観光客に人気があります。また、観光名所としては、伏見稲荷大社があります。この神社は、千本鳥居で知られ、毎年多くの観光客が訪れます。
伏見は、京都府内でも歴史や文化を感じることができる地域の一つであり、日本酒や観光名所を楽しむことができる場所です。
なんで伏見は酒処になったのか?
伏見は古くから京都の商業都市として栄え、木綿や呉服などの産地として知られていました。商業の中心地であったため、酒の需要も高まり、酒造りが盛んに行われておりました。
水運が発達しており、木津川と宇治川が合流する地点に位置していたことから、酒造りにおける原料や製品の輸送が容易な土地でした。このきっかけを作ったのは、豊臣秀吉です。
文禄3年(1594年)、秀吉が伏見城を築き、大規模な城下町を開くと同時に、宇治川などの改修も行い、内陸の河川港である伏見港を造りました。
また、豊かな自然環境に恵まれ、清澄で柔らかな水が利用できたことも酒造りに適した環境でした。
伏見の水は「伏水(ふしみ/ふしみず)」と称されるようになりました。
日本酒作りでは水がものすごく大事なので、良い水が手に入る土地では美味しい日本酒が作れます。
さらに、京都の文化的中心地としても栄え、伝統文化や祭り、儀式などにおいて酒が重要な役割を果たしていたため、酒造業が発展したのです。
そして三大酒処の1つになりました。
兵庫県の酒処「灘(なだ)」
続いて兵庫県の灘について紹介致します。
兵庫の灘はどんな場所?
兵庫県の灘は、日本の南側に位置し、大阪湾と播磨灘の間に広がっています。
古くから、この地域は海上交通の要所として栄え、船が行き来する海の交通路として重要な役割を果たしてきました。
灘という名前の由来は諸説ありますが、海の流れや地形との関連があると言われています。
江戸時代には、大阪や神戸などの港町と密接に結びつき、商業や交易が盛んに行われ、経済的に繁栄しました。
現代においても、灘周辺は経済的に重要な地域として位置づけられており、特に神戸港は国際的な貿易や交流の拠点としての役割を果たしています。
さらに、灘周辺には灘五郷として知られる歴史的な地域が存在し、古くからの風情や文化が残っています。これらの要素から、灘は歴史的にも現代的にも注目される地域であり、多くの人々に愛されています。
なんで灘は酒処になったのか?
灘も伏見同様に古くから海運の要所になっており、商業や交易が盛んなでした。
そのため日本各地から沢山の物資も集まり、その中に酒造りに必要な米も沢山集まる地域でした。
商業や交易が盛んな街は経済も自然と発展し、酒に対する需要も高まったのです。
水質も大きな要因になります。
日本酒の仕込み水には、アルコール発酵に欠かせないミネラル分が豊富な水が必要と言われています。
灘では「宮水」というものが使われており、もともとは「西宮の水」が略されたもので、兵庫県西宮市の沿岸部で湧き出る井戸水を指します。
「宮水」は、古くから西宮を含む灘五郷で造られる灘酒の品質を支える要素のひとつとして知られてきましたが、その理由は水質にあります。
宮水はミネラル分が豊富な「硬水」で、とくに酵母のはたらきを活発にするリンやカリウム、カルシウムが多く含まれているんです。
一方で、酒の色や香りを悪くすると言われる鉄分は少なく、酒造りに最適なミネラルバランスとなっています。
次にお米です。
兵庫県は「酒米の王者」ともいわれる酒造好適米「山田錦」の名産地であること。
兵庫県立農事試験場で誕生した酒米なのですが、元々は主流ではなかったのです。
しかし戦時中の県外の米の買付統制により、しょうがなく山田錦を山田錦を使ってみると酒米として優秀ということがわかり、そこから山田錦が主流となったのです。
こちらに戦前・戦後などの日本酒について書いてある記事はこちら。
このように灘は日本酒造りの環境、日本酒の需要の観点から、酒処になるべくしてなったと言っても過言ではないのです。
広島県の酒処「西条(さいじょう)」
最後は広島県の西条について紹介致します。
広島の西条はどんな場所?
西条は、広島県東広島市に位置する地域であり、古くから農村地帯としての性格が強かった地域です。戦国時代には、周辺地域と同様に安芸国の戦国大名毛利氏の支配下にありました。
近代に入ると、西条地域でも農業が主要な産業であり続けましたが、特に明治時代以降には近代化が進み、農業の発展や交通インフラの整備が行われました。西条周辺には、鉄道の敷設や道路の整備などが行われ、地域経済の発展に貢献しました。
また、第二次世界大戦後は、西条地域でも工業化が進み、工場や企業が立地するようになりました。これにより、地域の産業構造が変化し、工業が農業と並ぶ重要な産業となりました。
現代の西条は、広島県内でも重要な工業地域の一つとして位置付けられています。工場や企業の他にも、商業施設や住宅地も整備され、地域経済の中心として発展を続けています。
なんで西条は酒処になったのか?
西条が日本の三大酒処の一つに数えられる理由は、水質の優れた水源と適した気候条件、伝統的な酒造りの技術と文化、地域経済の発展と雇用の創出、そして地域固有の酒造りの特性によるものです。
まずは西条の水についてです。
西条では龍王山からの伏流水が井戸水となっているため、酒造りに適した水が豊富にあるのです。
今でも西条の酒蔵では井戸から汲み上げた名水を使用して酒造りを行っています。
この清く澄んでいる水が湧く場所は街の一角にあり、この水を求めて酒蔵が軒を連ねるように建っています。
しかし、この水はミネラル分が少ない軟水だったために発酵力が弱く、お酒をうまく造れない酒造家が多かったと言われています。
明治時代の酒造家の三浦仙三郎(みうらせんざぶろう)氏もその1人でしたが、研究と実験を重ね「三浦式軟水醸造法」を開発し、広島酒の特徴といえるふくよかな味わいの日本酒を生み出しました。
酒米を作るのに最適な土地だった。
西条は標高400~700メートルほどの山々に囲まれた盆地地形で寒暖差が大きく、酒米の栽培に向いていたこと、仕込みの時期の気温が酒造りに適した4~5度になることから、酒米の栽培も日本酒を作るのに最適な気候風土を有していたのです。
西条は伏見や灘と気候や風土、地勢的にも日本酒作りや販売に適した土地になり、三大酒処として名を上げるようになったのです。
おわりに
三大酒処である京都の伏見・兵庫の灘・広島の西条のいずれも、気候風土や交易などの土地の理からできた産業と言えるでしょう。
しかし、土地の利があるとはいえ、酒蔵の方々や日本酒作りに関わる全ての人の計り知れない努力や試行錯誤があったのはいうまでもないかと思います。
日本酒の歴史やストーリーを知ることで今まで以上に楽しめるようになるでしょう。
地域だけではなく、酒蔵それぞれにストーリーがあり、それを知ることで楽しめたりもするので是非好きな日本酒の歴史を調べて日本酒を楽しんでください!